毎年、9月に富山県の射水市(旧小杉町)の旧北陸道沿いでは、アートのイベントが行われています。

小杉焼タイトル

小杉の宝物の小杉焼について

 小杉焼は、文化年間から明治30年頃まで小杉町で90年間、4代に亘って作られた焼き物である。
素地は固く焼き締った炻器質で器形は優美で洗練され、釉色は艶麗で特に緑釉は「小杉青磁」とも呼ばれ、地方窯の中でも全国屈指と高く評価されている。
 初代与右衛門は、福島県の相馬焼で陶技を学び、帰郷してまずは、小杉インターチェンジ付近で上野窯を築き、次に太閤山の法唱寺付近で箕輪窯をそして、竹内源造記念館付近で主体窯である高畑窯を築いた。
 初代与右衛門は独自の陶法を完成するまで大変な苦労をしたようだが、形の美しさ、独特の釉の色と艶のある焼物は、当時の人々に愛好され、天保元年加賀藩から「陶器所」の免許を与えられた。
 二代目与右衛門は更に研究を深め、加賀藩からの保護を受け、小杉焼の最盛期を迎えた。
ところが、文久2年(1862)に伝染病が流行し二代と三代を継ぐはずであった長男のほか、全員が亡くなるという不幸が襲った。
 そこで親族といわれる陶山三十郎が四代を継いで家運の挽回を図ったが、初代の頃から経済的な支援を受けていた高畑家の醤油醸造工場で倒壊し衰退したことに加え、明治期に入り交通事情が改善され、安くて使いやすい瀬戸や有田産の陶器が流入すと、次第に経営が圧迫された。また一説には、良質の粘土が欠乏したことも重なり、残念ながら明治期後期に廃窯したと伝えれている。

ちなみに、二代与右衛門作の緑釉三円文徳利は東京国立博物館に収蔵されている。

国立博物館に収蔵されている小杉焼 
        ↑ 東京国立博物館に収蔵せれている小杉焼

小杉展示館のホームページにも、小杉焼について書かれています。   ←どうぞクリックしてください。

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