毎年、9月に富山県の射水市(旧小杉町)の旧北陸道沿いでは、アートのイベントが行われています。

古い建物・神社・寺院

十社大神(神社)


三ケ伊勢領に、応永7年(1400)伊勢神宮の末社として鎮座された神明社が広大な境内地にあったうっそうとした杉の大樹、老木の藤が下条川べりに繁り、伊勢神宮の内、外宮の天照皇大神社と豊受大神とを祀る越中古社で権威ある(藤の宮)として信仰が厚かった。
一方、神仏混淆の象徴でもある真言宗蓮王寺の守護神である十社大明神等三ケ地区の14社が、昭和2年に合社され十社大神となった。
伊勢神宮から分社された際に伝えられた木造神馬、木造狛犬、能面をはじめ木造千手観音菩薩立像、阿弥陀如来立像、聖観音菩薩立像、富士野巻狩りの図、ウワミザクラ等の市指定文化財をはじめ、竹内源造等の漆喰鏝絵の絵馬額、水上北莱の作「天之岩戸」の絵馬額等多数の宝物がある。

鷹尾山蓮王寺

小杉大仏蓮王寺は、高野山真言宗に属する古刹であり、県下真言宗寺院でも、十指に屈せられる名刹の一つである。その開祖は、文武天皇大宝元年(701)越中の守佐伯有若公が、行基を招いて鷹の供養のために、七堂伽藍を建立したといわれている。その後、幾多の盛衰を極め、特に、元亀、天正の乱(400年前)に寺塔の荒廃は、極めに達したが江戸時代初期に現在の諸仏が再興され、本尊丈六阿弥陀如来とともに、現代にいたっている。
 現在、本堂内陣には、小杉大仏として知られる本尊丈六阿弥陀如来座像、木像仏としては台座を合わせた高さが7メートルあり、県内最大である。射水市の指定文化財になり、通称「小杉大仏」として知られ、「高岡大仏」「庄川大仏」と共に富山三大大仏としても親しまれている。
 小杉大仏と知られる丈六阿弥陀如来は古くから”ぼけ封じ”の仏として知られ、そのまわりにまつられている”恵比寿大黒”をはじめ幸福の神といわれる七福神とともに人々の心のふるさととして、信仰をあつめている。
 その他、胎蔵界大日如来、聖観世音、薬師如来、地蔵菩薩、七福神などの諸像がまつられ、越中造像史上の貴重な資料となっている。

小杉展示館

旧北陸道の街並みに残る明治期に設立された銀行(旧小杉貯金銀行、後の北陸銀行小杉支店)の社屋跡で、国登録の有形文化財(平成11年登録)である。
昭和54年まで現役の銀行として営業していたが、新社屋移転を期に旧小杉町が譲り受け、内部を改装し展示館として利用している。
小杉展示館 明治期に設立された多くの地方銀行が火災に強いと言われていた土蔵造りであるように、この建物も明治後期の洋風建築が取り入れられた和様折衷の土蔵造りである。
石積の腰壁の上に黒く塗り上げられた漆喰壁、窓には金属製の防火扉が取り付けられいる。凝った模様の袖瓦下は白壁で仕上げれている。
中は、栗色と白色で仕上げられ、銀行時の客溜と営業室は上部が高く吹き抜け、二階高には回廊が廻らされ、随所に繊細な彫刻が施されている。奥の金属扉のいかめしさだけが、今なお銀行の面影を残している。 

旧小杉郵便局

わが国で郵便が創設されたのは明治4年(1871)であり、旧小杉町には、明治6年(1873)、三ケに取扱所が設置され、明治18年に小杉郵便局となった。
この近代郵便の発達において小杉郵便局のような特定郵便局が果たした役割は大きい。特定郵便局は地域の名望家や資産家を局長に任命し、少額の手当で郵便業務を委託するものであった。
国が委託-請負方式を創業当初からとったことにより、全国に郵便局が浸透し、郵便のほか貯金、為替、電信、電話などの郵便事業の恩恵を農山村の隅々まで網羅した。
旧小杉郵便局舎は大正13年(1924)に完成した。当時第7代小杉郵便局の局長であった須藤利作が三ケから当時栄えていた荒町に局舎を新築移転し自宅に建てたものである。
旧郵便局 しか し大正11年(1922)荒町通りに大火があり、須藤家も全焼し、関東大震災の被害も聞き、この教訓から、新しい建物は火に強い建物として、完成したものである。
この時期にしては珍しく壁・窓・戸を徹底して耐火構造(準防火建築)にした。壁は金網をわたした上に両側からセメントで固め、窓・戸には鉄窓を使用した。当時の郵便局は、ほとんど従来の木造建築であり、これほど堅牢なモルタル造りの建物はなかった。
大正末期から昭和42年まで使われていたこの建物は、郵便業務のほか、電信電話公社として、商店街の発展に寄与した。大正のロマン漂うこのモダンな建物は、86年の風雪に耐えて、今も荒町通りのシンボル的な建物となっている。
平成13年に公開された「映画「大河の一滴」(五木寛之原作)では、主人公が住む郵便局としての撮影場所になった。

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